最後の記事から1年ほど経ちます。
この1年、けっこういろいろありました。どちらかというと仕事ではいいことが多かったです。
鍵に関することや人間分析を書こうかと思ったんですが、いまちょっと考えていることがありますのでもうしばらく書かないでおこうと思っています。
文を書くということを疎かにしているわけではありません。逆に文を書きたいと思う気持ちはブログを書いていた時より強くなっています。
愚痴のようなものなのですが、少し思うことがあるので書かせていただきます。
鍵の仕事、というより僕の仕事ではかなり寒暖差が激しいのです。仕事の量のことです。
仕事がない日が続く事があれば、1週間で2か月分の仕事をこなさなければならない事もあります。これを 醍醐味 というのかもしれません。この 醍醐味 はけっこうきついのですが。ちなみに 醍醐味 の 醍醐 というのはチーズのことだと聞いた事があります。なんのこっちゃ。
暇な日はほとんど事務所でネットを見ています。
僕がよく見るのはYahooのコメントです。
それで最近思ったことを1つ。
今年の5月はアメフトのことでもちきりでしたね。
僕はアメフトのルールを熟知しているわけではありませんが、あのタックルに関してはちょっとひどいなと思いました。
それと同時に、このアメフトの記事にコメントを書いている人たちに疑問が出てきました。
コメントには
「監督の指示だったからといって反則をしていいのか」
というような誰も否定できない正論を書いているのが多くありました。
そりゃそうです。あなたの意見は正しい。でも僕がコメントを書くとしてもこんなことは書けません。
人間に未来を握られていない人間なんていないんじゃないか、と僕は思うんです。
例え話ではいろいろと書けるかもしれません。
1つ極端なことを書かせていただくと
(お前の子供を誘拐した。返してほしかったら俺の嫌いなあいつを轢き殺せ)
と犯人が言ってきたら同じことを言えますか?
「犯人の指示だったからといって轢き殺していいのか」
と言えますか?
監督がどのような人かはこの際どうでもいいのです。本当に選手のことを考えていたか、それとも性的嗜好に似た変質性があったかはどうでもいいのです。
反則タックルをした選手は監督に未来を握られていたのです。未来を人質に取られていたのです。
僕は今、組織に属していないのでこのようなしがらみがありません。というより、このようなしがらみから逃げたんです。
偉そうなことを言いますがね、未来を握られていると選択肢は2つしかないんです。
従うか逃げるか。
究極の選択なんです。
なぜこんなことを書くかというとですね・・・僕の過去を少し思い出したんです。かっこつけているわけではないんです。
独立は死ぬより怖かった。
死んだことがない僕がこんなことを言うのは矛盾していると重々承知していますよ。
営利団体、つまり普通の会社では売り上げがすべてなんです。きれいごとではないんです。
売り上げを人質に取られているとその組織でどうふるまえばいいか・・・簡単です。従うしかないんです。
従わなければどうなるか。
残された人生の膨大な時間を手探りで生きていくしかないんです。歳をとっていればその歳がハンデになるだけなのです。
サラリーマン社会では 歳をとっただけの初心者 になるだけなんです。
逃げるという事は命綱がなくなるというという事なんです。
逃げることのほうが苦しいんですよ。
死んだことはないけど、おそらく死ぬより苦しい選択をすることで生きることができるかもしれない。
そんな希望を背負いながら人って生きているじゃないかなあ・・・。
下手な文ですみません。
僕、小説家にはなれないでしょうね(笑)
スポンサーサイト