生きる音

「今から走れますか?安否(確認)なんですが・・・」
管理会社からの電話でした。

走れるか というのは現場に行くことができるかということ、そのとき僕には一つ仕事がありましたが人命がかかっている仕事を優先させていただくとの旨をお客様に説明してあらかじめの仕事を断ってとにかく現場に走りました。

当該住宅はできてから間もない集合住宅で、錠はかなり防犯性の高いものでした。
このたぐいの扉と錠前の解錠工具を数日前に作っていましたが、実際に解錠できるかどうかはわかりませんでした(デモンストレーションでは高い確率であくのですが実際の現場はこれが初めてでした)。もしこの工具で解錠できなければ強力なドリルでの破錠しかありませんでした。

すでに管理会社の方、近所の方、自治会の役員の方がいらっしゃって立ち会いの警察を待っている状態でした。
現場に着きました。
僕が一番恐れていた状況、中から途切れ途切れで女性の声が聞こえているという状況でした。

中から声がするということは生存が確認できているということなのでひとまず安心とお思いでしょうが、カギ屋としてはものすごいプレッシャーがかかるのです。なぜなら解錠にかかる時間、扉を開けて救出されるまでの時間に後遺症が残ったり、死んでしまうことがあるからです(実際に短時間で解錠して救出されても数日後に亡くなったということが過去に何度かありました)。

安否確認の解錠には、暗黙のルールみたいなものがあります。
それは極力無破壊で解錠すること、そして無破壊で施錠できる余地を残すことです。
なぜなら部屋に人が居ない場合が往々にしてあるからです。
外出しているだけかもしれない、夜中に帰ってくるかもしれない、もし破壊していたら住人が帰ってきたときにカギを破壊していると住人は家に入れないからです。部屋が空っぽでも安否確認が必要な状況を作ったのは当の住人であるにもかかわらず引っ張り回されるのは理不尽ですが、そんなことは言ってはいられません。とにかくカギは開けなくてはなりません。

このときは確実に中に人が居るという状況、声の状態から少しの時間の猶予が認められそうでした。確実な解錠は破錠でしたが、ドリルでの破錠では時間がかかるのです(破壊する体積が大きいため)。時間の短縮のために一か八か無破壊での解錠をするために工具の組み立てをしました。

中から声がしているので警察の立ち会いは基本的に必要はありませんでしたが、万が一、解錠の最中に何らかのことが起こってしまうかもしれないので警察を待ちましょう、と周りの人に言っていた途端に警察がやってきました。

とにかく短時間ですぐに無破壊で開けなくてはならない状況でした。

思ったよりも、というよりものすごい短時間で開きました。
ディスクシリンダーをピッキングするのと同等、またはそれ以上に早く開きました。

警察と近所の人が急いで靴を脱いで入っていきました。

「水・・・水・・・」

近所の人が台所でコップに水を汲み飲ませていました。
女性が、高齢の女性が ゴクゴク と音を立てて水を飲むのを初めて見ました。

高齢の女性は動けなくなってからかなりの時間が経っていたようでした。
SOSが出せないまま 沈黙 というサインで異常を知らせたようでした。

すぐに救急車が来て女性は病院に運ばれました。



・・・



安否確認の現場でどれだけカギを開けたかは数えていないのでわかりませんが(100回を超えた辺りから数えるのを止めました)、慣れてくると流れ作業、事務的に作業をこなすという感覚でした。ある意味 感覚 が麻痺していました。

僕はこの仕事が終わったとき、女性が救出されたときになぜか 神様 について考えていました。

自らが生きようとする、自らを生かそうとすることを神様は応援してくれるのかもしれない、あの ゴクゴク という音は正に生きる音、生きようとするための音でした。水を飲むその音、その姿は尊く美しい、実は神様というものは懸命に生きようとするその命そのものを見た人たちの暖かい想いなのではないか、頑張れ!と檄を飛ばすのが神様ではなく、頑張っている命を見てその人に寄り添いその人を助けようとする想いこそが神様なのではないかと考えてました。

実は神様は懸命に自らを生かそうとする命に共感するたくさんの人たちの想いなのではないか、そして神様は いらっしゃる のではなく自ら引き寄せるものではないかと思っています。



・・・



遅くなりましたが明けましておめでとうございます。
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金庫2

これは過去に一度アップした記事、今は非表示になっている記事です。

読んでいただければ幸いです。



・・・



カギ屋をしていると、たまに 針のムシロ に座らされることがあります。
そしてドラマよりもリアルを味わうことがあります。



・・・



あるカギ屋さんからの依頼で金庫開けがありました。
依頼主が遺品整理をしていると金庫が 出てきた ので開けて欲しいとの事でした。
依頼主は亡くなられた方の奥さんとその息子さんでした。


その家にうかがい、金庫の場所まで行きました。金庫は耐火金庫でした。
金庫はありえない場所に 埋まって いました。


依頼主の身分の証明を確認して僕かなり無理な姿勢で解錠を始めました。
カチャッ と音がしてダイヤル部分の解錠が終わりました。夏だったのでかなり汗をかきました。


カギ屋は扉を開けることができませんので解錠したままの状態で僕は

「どうぞ。扉を開けて中身の確認をお願いします」

と言いました。

「ありがとうございました」

とお客様は言ったあと、金庫の扉を開けました。

本来ならお代金を受け取って帰るのですが、お客様は僕がいないかの如くすぐに金庫の中を確認し始めました。


「・・・ちがう・・・これじゃない・・・」
「・・・どこや・・・これもちがう・・・」
「・・・なんでこんなもん金庫に入れてんねん・・・」

・・・聞くつもりは無かったのですが、自然に耳に入ってくるものは止めることができず、僕は成り行きで後ろを向いたまま正座をし、聞き耳を立てながらお代金はいただけるのだろうかと心配しながらまっておりました。針のムシロに座らされているようでした。



足が痺れてきたと同時くらいに依頼主の会話がピタッととまり、金庫の中を確認することを止め
「実は・・・」
といってこの金庫のことを僕に話し始めました。


詳しくは書けませんがありえない場所に金庫が埋まっている理由がわかりました。
いわゆる 隠し金庫 でした。



・・・



僕は
(お目当てのものはありましたか?)
と聞きたい衝動に駆られましたが、頭の中のもう一人の僕が
(待つよろしっ!つかぬことを聞いたらツボにはまることもありんす!!)
といってきたので聞くことはしませんでした。


金庫の中には何が入っていたかはわかりませんが、金庫には人それぞれの事情があると知った仕事でした。



・・・



犯罪絡み系
ではありませんでした。


どちらかというと
骨肉の争い系
でしたのでご安心ください・・・。
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おにぎりの具別人間分析

最近、コンビニによく行くようになりました。
というのも芥川賞を獲った コンビニ人間 の影響です。
もともとはあまりコンビニには行かなかったのですが本の影響ってすごいものですね。

ほとんどはトイレを借りた後にサッカーくじを買うというパターンが多いのですが(ほぼ外れます)、たまに昼飯を買いに行くようになりました。僕の昼飯はほとんどがカレーパンとコーラ、そしてその日の気分でおにぎりを1つ買います。

というわけで今回は おにぎりの具別人間分析 をしたいと思います。

今回はコンビニに敬意を表して、コンビニでおにぎりを買うならどのおにぎりを買うかという前提で以下の6つからお選びください(いつもの如くこれは甲辰のファンタジー脳が生み出す妄想ですのでどのおにぎりを選んでも怒ったり 訴えてやるー とか言わないでね)。


1 しゃけ
2 梅干し
3 明太子マヨ
4 エビマヨ
5 塩むすび
6 ツナマヨ



では分析いたします。



1 しゃけ
これを選んだ人は タイミングが悪い人 です。
しゃけの時代は終わりました。残念ですがもう終わったのです。
しゃけは回転寿司でサーモンとしてトップクラスの人気を誇っていますが、おにぎりの具としてはもう絶頂を過ぎたのであります。
これを選ぶ人は過去の栄光にすがる人、潮時が読めない人、すなわち タイミングが悪い人 なのです。
しゃけを選ぶ人が大企業の広報にいたら災いをもたらすという統計が、最近話題になっていますね。
詳しく説明いたしますと、その大企業の商品やらサービスやらを売り込む イメージキャラクター を決定する責任者がしゃけのおにぎりを食べながらリアルタイムで人気絶頂のタレントを選んでしまい、CMで流れるころにはそのイメージキャラクターのタレントは落ち目になっているということがかなりの確率で発生いたしました。これまでに ぽっぽぽぽぽぽぽっぽー とか ラッスン何とか とか だめよーだめだめ とかの芸人のスポンサーになろうとしましたが、ぎりぎりにところでストップがかかり事なきを得ました。
最近では アッポーペン の人にアポをとろうとしているとのうわさがあります。


2 梅干し
これを選んだ人は 従順な人 です。
運動会の時にお母さんが作ったおにぎりの具が梅干しならうれしくて仕方ないのですが、わざわざコンビニで梅干しのおにぎりを買うということは梅干しのおにぎりしか買ってはいけない、ラーメンには胡椒のごとく、おにぎりには梅干しである的大原則を平成になっても守ろうとする素直な人、是即ち従順な人です。
確かに梅干しには殺菌作用があり、おにぎりを腐りにくくするという実利の面からも高く評価できますが、だからといってコンビニまで来て梅干し入りのおにぎりを買うというのはもはや パブロフの犬 なのです。つまりクリエーティブな感性がないので異性から好意を持たれる確率は低く、独身で実家暮らしが多いとの統計が出ています(甲辰経済戦略研究所 負け犬勝ち猫分析チーム調べ)。
但し、梅干しを選んだ者同士が結婚するとその結束力は家族を巻き込んで極めて強いものとなります。
パブロフの犬同士なので目覚まし音にクシコスポストが流れると、夫婦揃ってキッチンまで徒競走を始め、天国と地獄が流れるとトイレまで大玉転がししよります。もし目覚まし音にギャロップ、もしくはトランペット吹きの休日が流れると嫁のお父さんが借り物競争を始めるのは言うまでもありませんね。


3 明太マヨ
これを選んだ人は 考えがまとまらない人 です。
明太マヨは タラコ 唐辛子 マヨネーズ と3つのものをごちゃごちゃに混ぜて具にしております。まあこれはこれであの ぱっさぱさ のコメに合うと言えば合うので何とも言えませんが、けっこうご都合主義、自分をおにぎりに見立てて具がぐちゃぐちゃでまとまらなくてもそこそこの結果を出すというところに惹かれている凡人が好んで食べるおにぎりなのだと推測できます。
まあ、なんといいますか、凡人は凡人でも商売を始めるとなるとかなり真剣に考えるのですがここがやはり考えがまとまらない人の特徴なのでしょう、いくつかのアイデアをごちゃごちゃにして商売を始めてしまいます。
このところの流行、ビジネスチャンスと言えばB級グルメですが、明太マヨを選んだ人が飲食店のオーナーになるならお察しの通り 佐世保バーガー 横手焼きそば 焼き豚卵飯 などの全国的に有名なB級ご当地グルメを一緒に出しよります。ご当地で食べるからこそありがたみがあるのにそんなことはお構いなしです。
オーナー自身がご当地の味、本場の味がわからないのに知名度だけで、またごちゃごちゃに出すので半年も経たないうちにその店はたこ焼き屋になり、1年後には100円パーキングになります。


4 エビマヨ
これを選んだ人は 脳内ファンタジー満開な人 です。
なぜなら甲辰がほとんどの場合コンビニでエビマヨを買うからです。
ですがね・・・もうこの年になって脳内ファンタジー満開も疲れてきました。
最近の甲辰の脳内ファンタジーは、ボブディランがノーベル文学賞を獲ったということで 人間分析 で ノーベル妄想賞 でも獲れないかなあとカレーパンとエビマヨのおにぎりをつまみにコーラを飲みながら妄想しているのでございます。


5 塩むすび
これを選んだ人は まぎらわしい人 です。
このおにぎりは具がないので何を楽しみに食べているのかわかりません。
健康のためなのか、単純なものほど真価が試されているとの考えのもとに食べるのか、贅沢は国民の敵 的な考えで我慢をしているのかわかりません。具があろうがなかろうが外観からは何を食べているのか、こいつの好物は何なのか本当にわかりません。まぎらわしい奴です。こいつはこいつが食べているおにぎりを見て困っている人を観察しながら心の中で しめしめ とほほ笑んでいるなんともいやらしい奴なんです。
そのいやらしさは子供の名前に出ています。
四つ子が生まれるとそのすべてに 〇 という名前をつけます。
読み方はそれぞれ上から マル ゼロ リング オーとなります(男女関係ありません)。
ちなみに三つ子になると × という表記でそれぞれ バツ カケル エックス となります。


6 ツナマヨ
これを選んだ人は 計算高い人 です。
コンビニのおにぎりのコメの ぱっさぱさ感 に合うということである程度ツナマヨは人気が出るだろうと甲辰も20年前に予想をしていましたが、コンビニのおにぎりランキングで堂々の1位を獲得するまでは予想していませんでした。
男子がこれを選ぶのは当然なのですが、女子の場合は意中の男子に食べてもらうという計算が働いております。さすが愛情深い女性ならではの選択だと言えるでしょう。
ツナマヨを選ぶ人、特に女子はその計算高さが功を奏して商売をすると成功する確率が高いです。
女性のきめ細やかさや愛情を表に出す職業、例えば飲食業やサービス業ではほぼ成功するのですが、1つ気を付けなくてはならないことがあります。それはサービス精神が旺盛すぎて本業以外に手を出してしまうことです。
例えると病院経営をしながらその横に葬祭会館を建てたり、ラブホテルの横で託児所を経営したり、サービスとはいえ勇み足には要注意です。
特に結婚相談所の横に心療内科を建てて 婚活疲労外来 を開設しないように注意しましょう。



・・・



あの・・・僕、ぱっさぱさのおにぎりが好きなんです。
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お仕事徒然(2016夏その3)

初めて ジュラルミンの盾 と 刺股 を持った警察をニュースやドラマではなく実際に見た日の話です。



・・・



あと10分で閉店というタイミングで僕の携帯がなりました。

「今から走れますか?」

走るというのは今から現場まで出てこれるかということ、僕は現場名を聞き、大体の到着時刻を伝えて車に乗り込みました。僕の店から35キロほど離れたある団地でした。

僕の携帯にかけてきたのはその団地を管理している管理会社の管理員で事情を伺うと、当該住戸の住人(女性)の娘2人(住人とは同居していない)が様子を見に来たのですが応答がなくカギがかかっている、電話をしても一向に出ないということで心配している、とのことでした。

どの月にしても月末月初に安否確認が多くなり、孤独死も多いのです。
この日はちょうど月末のど真ん中でした。

少しリアルなことを書かせていただきます。

安否確認の要請がきて真っ先に考えることは解錠完了が解錠要請からどのくらいの時間かかるかということです。
短ければ短いほどいいのです。

毎度のことですが扉の前で解錠しているときより、現場に到着するまでの時間の方がストレスが溜まります。
本来なら扉の前に立った時にストレスが最高潮になる、解錠できるかどうか試されている本番のほうがストレスが溜まるのではないかと思われがちですがそうではありません。
どういうことかというと技術的に 本番になればなんとかなる カギは必ず開く 君ならきっと開けることができる という明るく前向きなお花畑の話ではなく、扉の内側の住人の生死がわからない、カギを開けるまでの間、解錠要請をされてからカギを開けるまでの間に人が物体に変わってしまうことがあるかもしれないからです。特に住戸の中から声が聞こえるとの連絡を受け取ってから現場に到着するまでの時間は生きた心地がしません。救出されるまでの時間の積み重ねほど恐ろしいものはありません。

管理員は恐らく家の中にはいないかもしれない、いたとしても元気だろう、と言っていたのですが状況は実際に扉を開けてみないことにはわかりませんでした。

現場に着きました。

管理員と親族と近くの人達が見守る中、解錠しました。

「お母さんっ!!みんな心配しとったのになんで電話にも出えへんのっ!!」

娘さんは扉を開け、部屋の中にお母さん(住人)を見つけるなり大きな声で言いました。

お母さんは認知が入っていて被害妄想的なことを大きな声で言っていました。

「カギ屋さん、ありがとうございました。おいくらですか?」

娘さんは何回か少し深くお辞儀をしてくれて僕はお代金をいただき帰ろうとしました。
管理員も
「お疲れさん。生きとってよかった」
と労ってくれました。

僕が車に解錠工具を詰め込んで帰ろうとしたとき、少し嫌な予感がしました。
いろんな人に頭を下げている娘さんに
「あの、玄関の扉、閉まってませんか?」
というと娘さんは階段を上って閉まっている扉を開けようとしましたがお母さんがカギを閉めたようでした。

もう一度解錠しました。
今度は施錠できないようにバールを持っていき、解錠してすぐに扉に挟もうとしました。
カギ屋の仕事はカギを開けるまでなのでよほどのことがない限り住戸の状況をのぞいたりすることはありません。

「お母さん!!何包丁持ってんのよ!!」

どうやら包丁を持っているようでした。
お母さんは意味不明なことを大声で叫びながら娘を家の中に入れないようにしていました。当然お母さんが包丁を持っているのでおいそれと家に入ることもできませんでした。

とにかく扉にバールを挟んで思い切り扉を押さえつけました。
万が一、お母さんが体当たりして扉が開くと刺されるかもしれませんでしたので開かないようにとにかく押さえつけました。

僕が扉を押さえつけている間に娘2人は扉の前で包丁を捨てるように、また、部屋から出てくるようにと説得をしていました。
近所の人もずっとなだめるように部屋から出てこいと言っていました。

娘や近所の人が説得をしているときに、扉の隙間から包丁が出てきました。お母さんはりながらわけのわからないことをわめきながら上下に何度も包丁を振り回しました。扉を押さえている僕の体から僅か20センチくらいで包丁は舞っていました。
包丁は出たり引っ込んだりしながら僕一人が扉を押さえて時間が過ぎ去っていきました。

はじめは安否確認に来ていた警察の方が1人だけでしたが、時間が経つにつれて警察の数、レスキューの方、そして機動隊でしょうか、ものすごく筋肉質の若いの数人を含めて相当の数の公務員が来ました。

警察の方が扉に近づいてきたときにタイミング良く、というより悪くと言ったほうがいいかもしれません、扉の隙間から包丁が出てきました。

「何やってるんですか!」

説得にあたろうとしていた警察の方が飛び出した包丁を見て大声で言いました。
実際は ですか! などという言葉ではなく、小さい子が聞いたら泣き出すぐらいの汚い怒号でした。

警察のうち何人かはジュラルミンの盾と刺股を持って扉に接近してきました。

「カギ屋さん、ご苦労様でした。危ないから下がってください。交代します」

警察の方が僕に代わって扉を押さえてくれました。

僕が扉から離れてしばらくしてもお母さんは一向に出てこようとしません。

僕は別の警察の人と一緒に裏側に回ってベランダから無破壊で侵入できるかどうかを確かめていました。
掃き出し窓のクレセント錠の解錠をしてみようと警察の人にいうと危険だからということでベランダには入らないほうがいいと言われました。

その時、金属と何かがぶつかる音がして一気に人の声が上がりました。

「確保しろ!包丁を取り上げろ!」

突入したようでした。
警官の無線とお母さんの声が響きました。
お母さんの抵抗の声は獣の叫び声のようでした。
しばらくすると
「確保しました!」
の声が聞こえました。

それからレスキューが入ってお母さんに怪我がないかを確認し、お母さんはパトカーに乗せられて、恐らく所轄の警察署に行ったんだろうと思います。

2人の娘さんは、1人は泣きながら、1人は怒りを込めながらこれからどうなるかを警察の人から聞いていたようでした。
僕はバールを引き取って皆さんに一礼をして帰りました。



・・・



次の日、管理会社から連絡がありました。

「昨日はご苦労さん。あの人、措置入院になった。昨日のカギ開け、損してへんか?もし足りんかったらこっちが払うで」

ありがたいお言葉でした。
お客様(あの娘さん2人)から解錠代はいただいておりましたので丁重にお礼をしました。



・・・



僕が言うべきことではないことですが、きれいごとで済まされないことなのであえて言います。

自分自身がコントロールできない人間は 意志を持つ理性のない獣 なのです。

個人の力、家族の力ではできることの限界があります。

高齢化からくる問題には現実的な対応、共存の可能性を大きな単位、この社会、この国が知恵を出して考え実行しなければいけない時期に来ていると思います。
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6年目

大学時代に、ある旅行(これは日本の大学の代表がある国へ研修するという目的で政府が費用を出してくれる旅行。各大学から1人もしくは数人選ばれて、だいたい80人くらいの団体だったと記憶しています)に行く機会があり、そのことを大学の新聞に載せるからということで何か書いてくれと教授に言われたのが 僕が文章を書く という最初のきっかけでした。なんどもダメ出しされ文章を書くことが難しいと思った最初のきっかけだったと今も鮮明に覚えています。

大学を卒業し、10年ほどサラリーマンをしてそれから独立し、何年か経った時になぜか 文章を書きたい と思ったんです。
パソコンを買ってネットサーフィンをしていると ブログ という形態のメディアがあり、たくさんの人がいろいろな想いを持っているんだなあ、と感じ、僕も何か発信したい、それともう一つ・・・新しいことに対して極端に臆病だったので(それは今でも変わっていません)自分の矯正のためと思いながらブログを開設しました。

一番はじめはseesaaでブログを始めました。
何ヶ月も発信し続けましたがコメントは全くなく、たまに コメントが来てます の文字を見て喜んで開けると何かの勧誘だったり宣伝だったり・・・。

でも僕のブログを見てくれている人は確実にいました。何度も勇気づけられました。

少し考えるところがありFC2ブログに乗り換えました。
以前書いていたseesaaの記事を書き直し、また、カギ屋のことだけに限らず 妄想 のようなものも書きながら
書くってことは楽しいなあ
そして
書くってことは難しいなあ
と同時に感じるようになりました。

しばらくするとある人が某出版社のコンテストみたいなものがあると教えてくれました(アルファポリスのエッセイブログ大賞)。
ブログを開設することもすごく勇気がいったのですが、僕は最大限の勇気を振り絞って応募してみようと思ったのでした。
書いたものを人に読んでもらうこと、できるだけたくさんの人に読んでもらうことでこの臆病を治せるかもしれない、というより、僕の根底にあるものを見てもらいたいと思ったからでした。僕が歩んできたこと、書いていることが読者の目を通じてどの位置にいるかということを知りたかったからです。ある意味 僕も何か発信したい は自分を含むすべてに報復、精算しようと思ったからだったのかもしれません。
結果は2011年も2013年も賞は獲れませんでした(読者投票では2011年は4位、2013年は3位でした)。
その間、何度もディスプレイの前で涙を流しました。
画面を通じてですが、人って暖かく熱く優しいのだと何度も涙を流しました。


このブログを書き始めて5年経ちました。
この5年で僕を取り巻く環境はいろいろと変わりました。それでも 書く ということに対してますます 意味 を探しているのではないかと自分自身感じています。

2011年9月3日がこのブログの誕生日です(ブログ大賞のため当初の記事は非表示にして別の日に再アップしています)。
このブログは今日から6年目に入ります。



<これからもよろしくお願いいたします>
というだけのことをこんなに長々と書いてしましました。


これからもよろしくお願いいたします。
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お仕事徒然(2016夏その2)

前回お約束していた 包丁を振り回されたお話 は後日書かせていただきます。



・・・


何もしなくても汗がどんどん出てくる午後でした。

管理会社ではなく某介護の団体の方から電話がありました。
「あの・・・○○さんてご存知ですか?実は・・・」

僕はこの介護の方とお話をするのは初めてでしたが○○さんの名前を聞くなり
「お断りします。また泥棒が入ったとか言ってるんですよね・・・」

○○さんは2年ほど前から何度もカギを替えてくれと言っていた女性のご老人でした。
いくらカギを替えても泥棒が入ってくるからカギを替えてくれと何度も電話をしてきた人でした。
こちらも何度もいろいろな人を介して交換を断っていた人でした。

「そうですか・・・だめですか・・・カギの交換ではないんです。(カギを)開けていただきたいんですが・・・」
「カギを開けるって・・・あの・・・安否確認ですか?」
「そうなんです。この近くに息子さんが住んでられるんですが、その方が○○さんと連絡が取れないので心配してこちらに相談しに来られたんです。息子さんは(その部屋を開けるための)カギは持っていません。それと・・・カギの交換はするかどうかはわからないんですが・・・それでもだめですか?」
「話は別です。交換以前の話です。今からすぐにそちらに向かいます。息子さんからの依頼なんですね?」
「はい。お代金も息子さんが支払うといわれてます。私たちも立ち会います。あの・・・どのくらいでこちらに到着しますか?」
「大体45分から1時間です。警察を呼んでおいてください」

僕は念のためこの住宅を管理している管理会社の担当者に連絡をとり、解錠に行く旨を告げるとその担当者もすぐ現地に向かうとのこと、僕は高速道路を飛ばして45分ぴったいくらいに現地に着きました。
介護の方、管理会社の担当の方、少しして警察、そしてカギを開ける直前に息子さんが来られました。

解錠する住戸は電気錠、いわゆる外出確認錠がついている住戸です(今までに何回か交換したのですでにわかってました)。
シリンダー(鍵穴部分)は被害妄想のなせる業でしょうか、ピッキングでは解錠できない防犯性の高いものでした(僕以外のカギ屋さんが交換していたようでした)。
外出確認錠は主に高齢者や障がい者向けのもので在室時に生活反応がない場合(具体的に言うと水道が12時間流れない場合など)、住人の危険を知らせるために緊急発報、インターホンから大きなサイレンのような音がするものです。
厄介なのは部屋に住人を 不在 と認識させるにはシリンダー側、つまりキーで施錠しなければなりません。
キーで施錠しない限り部屋は 在室 と認識し続けるので12時間ごとに何らかの形で水を流さなければなりません。
もし解錠して中に人がいない場合、つまり住人が外出していたらキーがないので内側からサムターンで施錠しても部屋は 在室 と認識してしまうのです(部屋の中にキーがあればいいのですが。僕は施錠するときピッキング以外は ある方法 を使ってサムターンを回して施錠します)。
かいつまんで言うと解錠後にキーを見つけてキーで施錠すれば何の問題もないということなのです。

この仕事をしていると100%ではありませんが高い確率で住人が中にいるかいないか、生きているかそうでないか、は解錠前にわかるようになります。

一応介護の方と息子さんに解錠後の部屋の中にキーがない場合の対処方法を告げて
「16時47分解錠開始」
と警察の方に聞こえるように言葉に出して解錠を始めました。


「16時49分解錠完了」


僕が言い終わると警察の方が部屋に入っていかれました。

「人はいないです」

しばらくはみなさんでいろいろと話されていましたが、さてこの外出確認錠の施錠をどうするか、結局は息子さんと警察の方の立会いのもと、僕がキーを探すことになりました(かなり特殊なカギのため警察の方や息子さんはどんな形状をしたキーかわからないため)。

探し始めてから5分ほどが経ったときでした。

警察の方が軽く 舌打ち のようなものをしました。
僕が振り返ると手に何か持ったまま外に出ようとしていました。

それからしばらく探したのですが結局キーは見つかりませんでした。

「あの、ないですね」
僕が扉を出ると息子さんの少し深刻そうな顔が見えました。

息子さんが手に持っていたものは 遺書 でした。
○○さんが書いた遺書でした。

カギどころの話ではなくなっていました。

「捜索願を出されるんでしたら本署に来ていただくことになりますが。どうされますか?」
「もちろん行きます」

警察の方と息子さんが話をしているとき僕は割り込むように

「遺書を書いてても本当に自殺するとはかぎりません。むしろ書く気力が残ってるくらいだから 大丈夫ですよ 」

ためらいがなかったわけではありません。
とにかく前向きに、とか、命の永続性の否定を否定する言葉が金科玉条のようになっているこの世界の雰囲気に少しためらいを、少し抵抗をしていたはずの僕ですが 大丈夫ですよ の言葉を出してしまったのです。

以前に似たようなことがありました。

何年も前、別の部屋で解錠して親族と警察の方が部屋の中に入り
「遺書と通帳が机の上にあり・・・」
と警察の無線の声、この時は親族が捜索願を出して翌日にその部屋の住人が発見され、しかもその住人は冗談をいうほど明るくなっていました。

僕はこの扉に簡易の工事用カギをつけその日は帰りました。
12時間ごとに息子さんがこの住居に来て簡易のカギを開け水を流すということを息子さんに確認し、カギを替えることなく息子さんに解錠料金を伝え、息子さんの解錠料金の支払いの期限を確認してその日は帰りました。



・・・



息子さんと確認した支払期限を5日過ぎた日でした。
もしもに備えて息子さんの住所と携帯の番号を聞いていたので朝に通帳に振り込まれていないことを確認し昼過ぎに電話をかけました。

今までの経験では 踏み倒そう とする奴はなかなか電話に出ようとしないのですが息子さんはすぐにでました。

「先日カギをかけさせていただいたカギ屋ですが・・・振り込みの確認ができていないのですが・・・」
「申し訳ありませんね。ちょっとバタバタしてまして」
「あの、いつぐらいに振り込みいただけますでしょうか?」
「・・・・明日、明日振り込みます」

再度、電話で振り込みの約束をいただいたので電話を切ろうかと思っていたのですがそれは少し手持無沙汰、なんというか商売人として何か足りないかもしれないと思い

「12時間ごとにお部屋に入って水流されているんですよね。大変ですね」
「・・・あの・・・聞かれてないんですか?」
「あの・・・なにかあったんですか?」
「○○はなくなりました。遺体で見つかりました」



・・・



心が痛みました。

大丈夫ですよ と言ったことに心が痛みました。

己の未熟さに心が痛みました。

不本意とはいえ前向きな憶測を言ってしまったこと、否、不本意だからこそ尚更前向きな憶測を言ってはいけないことをわかっていながら言ってしまったことに心が痛みました。

技術や知識が足りないなどのはっきりとした未熟さは時間が解決してくれます。
でもどう形容していいかわからない未熟さ、心が痛む未熟さは自覚さえできない、そして自覚してしまった時にはすでにもう遅いのです。


僕は何でもかんでも免罪符であるかのごとく前向きな言葉をいう人間を軽蔑していたのです。
前向きの言葉は確かにきれいです。ドラムのリズム、キーボードのメロディにのせて、また、画面に流れる人間の声、活字などこのきれいなものは世界に溢れかえっています。
そして前向きな言葉は素晴らしい、だからこそそんな言葉を言う機会をいつも人は自らの承認欲求のため求めているのだと思うんです。

僕は誘惑に負けてしまった、僕は心底自分自身を軽蔑しました。

前向きは押しつけなのだ、前向きは憐憫の情から来る根拠のない憶測、希望なのだ、だから前向きな言葉は口にしてはいけない、前向きは絶望の淵に立った者だけにそれを感じる資格が与えられるのだ・・・



目を開けていれば、耳を澄ませていれば、世界から脳に入ってくるいろいろな言葉、これからも世界は正解不正解を繰り返し未来に向かっていくのでしょう。
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お仕事徒然(2016夏その1)

2016年のお盆も過ぎてしまいましたね。

暦の上ではとっくに秋が始まっているようですがまだまだ暑いのでございます。

この夏やったカギの仕事を何回かに分けて書かせていたできます。



・・・



午前から午後にかかる時間でした。
携帯に役所から電話がありました。
「あの・・・カギを開けていただきたいんですが・・・おいくらぐらいかかるでしょうか・・・」
電話の人はケースワーカーの方でした。
僕は大体のお値段を言うと
「ありがとうございます。では、お願いできますか・・・もし(部屋の)中に(住人が)いなくても出張費はお支払いいたします・・・もし扉を叩いてすんなり出てきてもお支払いいたしますので・・・」

こういうケースというのは結構あるんです。
何らかの介護や支援を受けている人の一部には人と接触することを極端に嫌う人が少なからずいます。
今回のケースの人もいうなれば今までと同じく 知らんぷり を決め込んでケースワーカー、役所の人を困惑させている類の人だと僕も思っていました。

住人が住んでいる集合住宅まで行くと2人のケースワーカー(男女各一人)が扉を叩いていました。
「あの・・・(部屋の)中から声は聞こえるんですが・・・出てこようとはしないんです・・・何言っているかも聞き取れなくて・・・一か月ほど前にも同じようなことがあってレスキューがベランダの掃き出し窓を割って入ったんです・・・それからすぐに入院したんです・・・最近退院して・・・」

住人がどんな病を持っているか、そもそも病をもっているのかとかは僕には関係ありません。とにかく早急にカギ、というより扉を開けて状況を把握しなければなりませんでした。
ベランダからの侵入も考えましたがベランダは高所にありたどり着くにはかなり危険を重ねければいけないのであきらめました。掃き出し窓は割れたままだったのは確認できました。
僕は扉に戻りピックで開けようとすると
「この方(住人)は極端に人嫌いで・・・私たちにはかろうじて心を開いてくれるんですが・・・前回レスキューが入った時には扉が開かなくするように扉の内側に自分で細工していたんです・・・恐らくカギを開けても扉は開かないかもしれません・・・」

中からかすかに人の声がするのを聞きながらピッキングでカギを開けました。でも扉が開きません。ケースワーカーが言っていたようにおそらく内側に何らかの細工をしているようでした。
僕はバールで無理矢理こじ開けました。

バキン

軽と重を足して2で割ったような音を立てて扉が開きました。細工していました。

扉から2メートルほど離れた部屋の入口に横たわってこちらを向いている人間の頭がありました。何らかの表情はしていたのでしょうが恐らく僕と目が合っても彼は僕を認識していない状況、認識どころか意識がなく目を開けたまま言葉、声を発しているようでした。
女性のケースワーカーが
「○○さん、入りますよ」
と言って靴を脱いで入って数秒後
キャーッ!
と叫び声をあげました。
「骨が・・・骨が見えてる!」

時と場合、状況によるのですがカギ屋は扉の内側には入らないという暗黙の鉄則があります。
どういう状況かははっきりとはわかりませんでしたが住人は生きていたこと、そしてその住人の体の一部から骨が見えていたこと、自力で助けを呼べなかったことだけはわかりました。

住人が生存していたのでさっさと帰ってもよかったのですが僕は警察と救急車が来るまでケースワーカーの人と一緒に現場にいました。



・・・



淡々と書いただけで面白くもなんともないブログですがお読みいただきありがとうございました。

次回は包丁を振り回された話を書かせていただきます。
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モラトリアムの幸せ

最近、なかなかヒマなもので会社でよく本を読んでいるんです。

本といってもコンビニで売っている雑誌なんですがなかなか面白いんです。

どんな雑誌かというと昭和やバブルの頃についていろいろと書いている懐かしいもの(ほとんどが 兵どもが夢のあと 的なやつです)なんですがけっこうはまるんですよね。バブルの頃を思い出すとけっこう楽しいんです。

これらの雑誌を読みながらこの頃を懐かしむことが面白く楽しいと思う心はどこから来ているのだろうとふと考えたんです。
バブルの頃というのは甲辰年表に照らし合わせると大学から就職までの間でした(世間では バブル2世 などと言われている世代です)。まあ就職してからは頭の中でスーザンボイルの 夢やぶれて がエンドレスで流れていたわけですが・・・。

札束を握りしめて イエーイ などとほざきながらブランドを身にまとい高級外車でマハラジャに駆けつけドンペリを飲んでいたバブル野郎・・・だったらよかったのですが奨学金とアルバイトで何とか大学を卒業、貧乏学生でもバブルの頃は楽しく幸せでした。

というわけで今回はカギ屋が幸せについて考えてみました。
最近仕事がないカギ屋が幸せについて考えてみました。
夜は一人寂しくビール片手にぼやいているカギ屋が幸せについて考えてみました。
かっぱ寿司かスシローかいつも悩んでいるカギ屋が幸せについて考えてみました。
石川ひとみと倉田まり子は双子の姉妹だと思い込んでいたカギ屋が幸せについて考えてみました。
独身美中年・・・もういいです・・・。



・・・



もともと中学であれ高校であれ大学であれ学生時代というのは楽しいものなのです。
これといった束縛もなく自由に楽しめるのは学生の特権なのでしょう。一部の人を除いてどんな人にもこれはあてはまるのではないでしょうか。

僕の場合、その学生時代の中で特に楽しかった時期は大学の頃、特に4回生で就職が決まってから就職するまでの約6か月でした。
就職が決まったということはこれから生きていく 糧 を得る手段ができた、未来永劫ではないけれど とりあえずの安心 が手に入ったので大学を卒業して実際に就職するまでは 自由 でした。
バブルの頃というのは履歴書を出せば内定をくれるような時代だったので会社を選ばなければ誰でも内定はもらえる時代でした。僕にはどうしても就職したい会社がありました。何回か試験を受け面接も何回かして(試験ごとに人数は減っていきました)ようやく内定をもらいました。その時は つかみ取った という実感があり本当にうれしかったです(一部どうしても就職できない人はおりました。また自らフリーターを選ぶ人もいました)。

こんなことを思い出しながら考えたんですがね、ある意味幸せっていうのはつかみ取ったそのものではなく実際にそれを手に入るまでの時間、つかみ取ったものを実際に手に入れるまでの時間だと思うんです。
言葉は間違っているかもしれませんが幸せを待っている時間の幸せって モラトリアムの幸せ というんでしょうか。
身近な話ですと旅行で行きたい場所に到着するまでのバスや飛行機に中での時間、狩猟生活を送っていた僕たちの先祖を例に出してみますと明日の食料(はじめ人間ギャートルズでいうとドテチンを含むゴン一家がマンモス1頭、ヒネモグラ30匹獲ったくらいかな)をあらかじめ今日手に入れておいて実際に食べる明日を待つ時間というのが モラトリアムの幸せ だと思うんです。



・・・



何が言いたいかというと 幸せが待っているという期待が幸せ だということなんです。
そしてこの モラトリアムの幸せ こそが本当の幸せに導くための過程だと思うんです。

僕たちがいまつかみ取ろうとしている幸せとは未来への期待、未知の世界なので幻想にすぎないのかもしれません。
つかみ取った幻想に何度もやぶれる、やぶれたからこそまた次の幸せ、幻想でない本当の幸せとは何かを見極め新たに探すことができるんだと思うんです。望んでいたものをつかみ取ろうとした回数が多いほど幸せの回数も多くなる、また裏切られた回数、つかみ取れなかった回数が多ければ多いほどつかんだ本当の幸せは大きく深くなる、つまり生きるということはあきらめないかぎりどっちに転んでも開けていくんだと僕思っているんです。

偉そうなことを書いちゃいますがね、僕はモラトリアムの幸せではなく本当の幸せは人生において最後の1回だけをつかみ取ればいい、勝てばいいと思っているんです。何せ幸せに挑戦する時間はこの生が尽きるまであるんですから。



・・・



人間は自らを生かすために何度も幸せを追い求めることができる、だから生きることって本当に素晴らしいと思うんです。

幸せを待っている間の幸せが素晴らしいからこそ人は何度でも幸せに挑戦するのかもしれませんね。
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今からドライブに行きましょうか?

今から書くことはほとんどの人にとって当たり前なことかもしれませんが僕がカギ屋になって、というよりもサラリーマンをしなくなって僕自身考え方が変わったなあと実感していることです。
こんなことは当たり前だよ と突っ込まれるかもしれませんがお時間のございます方は暫しおつきあいくださいませ。
ちょっとした出来事をもとに書かせていただきます。



・・・



ある集合住宅の電気錠のカギ交換で管理会社の方と一緒に住人の部屋に伺った時のことでした。
シリンダー(カギ穴部分)を交換するというものでしたが電気錠なので交換後に正常に作動するかを確認するために2人以上人員が必要だったので管理会社の方に来ていただき確認作業(緊急事態の時に扉の電気錠が解錠するかどうか)をしました。

トラブルもなく普通に確認作業が終わりお客様からお代金をいただいて管理会社の方を会社まで送ろうと僕の車に乗った時のことです。管理会社の方が少し照れくさそうに
「・・・今までありがとうございました。実は僕・・・今月で会社を辞めることになりました・・・クビになるんです・・・」

車の中でこの会社に就職した経緯やどうしてクビになるかなどを暗くもなく明るくもないトーンで淡々と話し始めました。
大きなミスや失敗、不祥事で辞職するというものではないということははっきりとわかりました。

この方とはこの会社と取引するようになってからの付き合いでようやく1年経ったときのことでした。
一緒に仕事をすることは少なかったのですが特にトラブルを起こすような方ではなく物腰も柔らかく丁寧でした。

実際にクビになる人からの告白というものをその時までされたことがないのでどう反応したらよいかわからなかったのですが・・・ここが僕のおかしいところかもしれませんね、どうせクビになるんならもう形式ばったこと、社交辞令なんか気にしなくていいと思い
「じゃあ、今からドライブに行きましょうか?」
と言いました。

まあさすがに
「それはアカンでしょう!」
と僕が窘められましたがね・・・。



・・・



僕も短いながら(10年ぐらいですが)サラリーマンをしていました。
サラリーマンで最も怖いことはクビを宣告されることだと僕は思います。
これは今までやってきたとおりの糧を得る手段がなくなるという物理的な恐怖もありますがそこが本質ではなくクビを宣告されるということはこの会社から お前は必要ない と判断されるということです。これは社会的な存在、価値を否定されることなのできついです。

そこでなんですが・・・

僕がこのブログを書いたのは実際にクビになった人がいるのをカケスのサミーみたいに ニュースだよ! と言いたいわけでもなくましてドライブに誘って断られたことを自虐的に書きたかったわけでもありません。今の日本社会の考え方というかシステムというかもう少し変わらないかなあと思っているんです。特に個人の考え方が変わって社会が同調してくれないかなあと思うんです。

確かに仕事というのは個人の社会的存在価値そのものだといえるかもしれません。実際に仕事をしなければ明日食べるための糧、食べさせるための糧を得ることができません。もちろん不祥事とか法律を犯して解雇されるのは自業自得なので同情の余地はありませんが、仕事とか会社と適度な 距離 をおくことってできないものかなあと思うんです。社会が同調すればかなりハードルは低くなると思うんです。

僕が考える 距離 というのは 帰属意識の距離 なのです。
つまり 解雇 と 就職 が日常茶飯事に行われる社会がいいと思っているんです。
解雇ということが個人の人格や能力を否定するというものではなく 解雇と転職は日常茶飯事 という考え方が定着すれば個人にとっても会社にとってもメリットがあると思うんです。相性が合わなければへつらってでも同調しなければという風潮だったらお互いに不幸だと思うんですよ。つまり被雇用者側から 辞めます と言いやすい社会というのはけっこういい社会だと思うんです。雇用の流動化って悪いものではないと思うんです(雇用の流動化 という言葉がここで適正な意味かどうかは少し疑問ですが)。

ただ日本の会社のシステムとして現実的物理的に転職を繰り返すということがハンディキャップになるかもしれないということがネックなのかもしれません(給料、退職金、社会保障などにデメリットが発生するかもしれないということ)。なにより 転職は忍耐力のない奴がするもんだ などのレトロな考え方、世間体を気にする人の心がそう簡単に変わることはないと思うのですがそれでも変わったらかなり風通しの良い社会、生きやすい社会になるのではないかと思うんです。



・・・



書いてきたことは極論だというのはわかっているんですがね、人格には個性、仕事には適性があるので無理をしないように生きていくために 距離 があるほうがいい、ここのところだけは ドライ な社会の風潮になってほしい、その社会の風潮が個人を後押ししてくれればと思っているんです。仕事は個人の根性試しではない、仕事と人格は別物であるということが個人を尊重するということにつながると僕は考えるのです。

もちろんいまの会社での仕事に適性があってやりがいもありそこそこ稼いでいて辞める理由がない人はこんな戯言に付き合ってられるかと思っているでしょう。ほとんどの人がそうだと思います。



・・・



独立して思っていること、サラリーマン時代に思っていたこと、180度違うというわけではありませんがかなり考え方が変わったなあと感じたので今回は少し忘備録として書かせていただきました。

サラリーマン時代にはその時々の風潮にしがみついていた、価値観を合わせなければいけないと思っていました。

ですが価値観はその立場によって変わるんだと感じています。

偉そうなことを書いてしまいましたがもし僕がいまでもサラリーマンだったら 雇用の流動化 ということには猫が両手両足で抱かれるのを拒否するように反対していることでしょう。なぜなら会社を辞めるということは予期せぬ不幸が待っているかもしれない、不安が先立つからです。
ですが適性があるないで会社と個人が幸せにもなれるし不幸にもなる、また悪意を持った経営者、悪意を持った従業員が一緒になることほど不幸なことはありません。


雇用の流動化が進めば経営者も従業員もかなり意識が変わると思います・・・と従業員のいない会社の経営者が言ってみた。
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子守唄別人間分析

甲辰の生活は仕事が終わってビールを飲んで寝るという単純なものなのでございます。
最近というよりこの仕事で独立してからほとんど変わっていないのでございます。
独身美中年の生活というものは本当に単調なのでございます。

ビールを飲んでから寝るまでの時間がけっこう長いのでテレビやネットを見る時間が多少あるのですが・・・なんといいますか・・・おかしなことが多々ありますね。偉そうに食べログやブログに美味いの不味いの書いていい気になっている何にもない奴らとか(しつこくてすんません)話題にもなっていないのに話題になっているとか言って無理やり流行作りをしているインチキ番組とか全く自分の人生には関係ないのに我が事のように芸能人を叩くヒマ人とか・・・。

偉そうに言うつもりはありませんが個人にしても企業にしても変なことをしでかしている奴が多いのでございます。これがモラルハザードというやつでございましょうか。

こんな時は心を穏やかにして安らかに寝付けるように 子守唄 でも聴きながら寝るのがよろしかろうと思っているのでございます。

というわけで今回はカギ屋の肩書のほかに㈱ファンタジーヒューマンアナライズ社外取締役安眠執行役員の甲辰が 子守唄別人間分析 をさせていただきます(便宜上 子守唄 子守歌 のどちらでも僕の人生には関係ないので適当に書かせていただきます。この分析はあくまでも甲辰の脳内妄想に基づいた個人的見解です)。

これから書く子守唄、並びに子守唄に携わられた方々、及び各々の子守唄を選ばれた方々には何の恨みもありませんのでご了承のほどよろしくお願いいたします。

特にシューベルトとモーツァルト並びにそれに関係する方々、ごめんなさい。



・・・



では子守唄と聞いて思いつくものを以下の6つからお選びください。

1 江戸の子守唄
2 ギザギザハートの子守唄
3 ジョニーの子守唄
4 シューベルトの子守唄
5 モーツァルトの子守歌
6 ヤゴゲルゲの子守唄


では分析させていただきます。



1 江戸の子守唄
これを選んだ人は チョベリバな人 です。
最初にことわっておきますがこれを選んだ人が文面通り 超 very bad というわけではありません。
江戸の子守唄と聞いてピンとこない人が多いと思いますが 
(ねんねんころりよ おころりよ)の子守唄の題名が江戸の子守唄だと初めから知っている昭和生まれの日本人の確率 
が 
実際にチョベリバという言葉を使っていた1990年代後半のヤマンバギャルの確率
と全く同じなので江戸の子守唄を選ぶ人をチョベリバとさせていただきました。
ここで面白い逸話があります。
時はバブルがはじけた数年後、江戸の子守唄を寝るときにウォークマンで聴きながら寝ていた某総合商社の統括部長は営業会議で自分の部の売り上げが下がったことを報告するのに
「我が部の今期の売り上げはチョベリバでした」
といいながら てへぺろ をしてしまい取締役になれずそのまま定年退職を迎えました。
愛嬌のある部長でしたがなかなか仕事ができない人でした。
もしこいつが生きているなら今頃は地域の自治会の環境部長をしながら 激おこプンプン丸 を連発しているということは容易に想像できますね。


2 ギザギザハートの子守唄
これを選んだ人は 胸キュンな人 です。
これはただ甲辰が 胸キュン と久しぶりに言いたかっただけです。
これで分析は終わります。


3 ジョニーの子守唄
これを選んだ人は 新人類 です。
ジョニーという言葉に代表される 横文字風芸名 が多く使われるようになったのはバブル期前後、つまり当時の新卒社員が新人類と言われ珍重、若しくは軽蔑されたころです。新人類世代の人でなくとも横文字風のネーミングがかっこいいと思っている人、実際に 横文字風芸名 をつけている人がこのジョニーの子守唄を選んでいる、魂は新人類だと推測されますのでこの曲を選んだ人全てを新人類世代(1961年生まれから1970年生まれまでと定義されることが多く高度経済成長期を経て、思春期、青年期にバブルを迎えたため、派手好きなどの特徴がある)の魂を持つ新人類とさせていただきました。
昨年行われた新人類研究の国際会議(第38回世界新人類臨床学会)で 横文字風芸名 を 名前の後に持ってくる と 名前の前に持ってくる では運勢が変わるという論文が発表され大きな話題となりました。
一例を挙げますと名前の後に デラックス や マングローブ がついている人は今では各メディアで引っ張りだこなのに対し名前の前に ショーン がついているあの人は悲しいこと、残念なことになってしまいました(カールスモーキーな人 や マイケルな人 もなかなかメディアに出なくなりましたね)。私的なことですがショーンさんはこのブログの管理人と同じ新人類世代でした。
この子守唄を選んだ新人類の派手好きはいくら年をとっても変わりません。有名になることや事業で成功すること、出世することを絶えず夢見ています。すなわち自動車の燃費性能を改ざん、偽装を見て見ぬふりをする、または指示する部長はおそらく魂が新人類な人ですので人事部長の方は人事考課の際、ブログのハンドルネームに 横文字風芸名 がない人を管理職に抜擢することが望まれます。


4 シューベルトの子守唄
これを選んだ人は DQNな人 です。
おそらく日本において一番馴染みのある西洋の子守唄といえばこの子守唄です。
この曲を選ぶということは数ある日本の子守唄を押しのけて無理矢理西洋の子守唄を選んだんだぞ、おめーらと俺は頭の出来が違うんだぞ、と言いたいだけの痛い人、つまりDQNな人と推定できます。
DQNな人の突出する特徴はなんといってもその子供の名前です。
もういろいろとDQNな名前は世に出ていますが私甲辰が遭遇したDQNネームで
我貯怨(ガチョーン)、藍音(アイーン)
という双子の男の子がいました(この双子のお父さんの名前は鳥豚(トリトン)、お母さんの名前は牛(ベコ)、3歳年上のお姉さんの名前は子羊(ラム))。
ですが最近、このような名前では就職に不利だという噂が広がっているのを受けて平成26年度チームトリトン家族会議で次に生まれてくる子供(男の子)には三郎と名付けようと決議されたとのこと、なかなか根性がありませんが初志貫徹しないところ、中途半端なところもDQNな人、シューベルトの子守唄を選んだ人の特徴の1つでもあります。
まあここまでなら普通の家庭にもよくありがちなことなのですが鳥豚さんは元々この双子に
\(^o^)/(オワタ)、(゚д゚)(ウマー)
と名付けようとしていたところがDQNなところです。
ちなみに条例や法律の壁にぶち当たり念願叶わなかったことは言うまでもありません。


5 モーツァルトの子守歌
これを選んだ人は ナウい人 です。
まずナウい人の定義をしますと 今風(NOW)なトレンドを追い求め実践する人 です。
なぜこの子守歌を選んだ人がナウいかというと一昔前のモーツァルト旋風、つまりモーツァルトの曲が人や動植物の健康・発育にいいというトレンドに今でも乗っているからです。この子守歌を選んだ人はモーツァルトの曲を無理やり聴きながら紅茶キノコを飲んだりぶら下がり健康器で体を健康にしたあとハロウィンに出たりしています(一昔前は竹の子族、カミナリ族、みゆき族でした)。
流行に乗るということは最小の労力で他との差別化をすることができる最も効果的な近道、言うなれば流行の尻馬に乗っていればある程度目立つことができるのですからナウいというのは外見上はオシャレなつもりの薄っぺらい怠け者だと言うこともできます。
ネットが普及してからの彼らのトレンドは言うまでもなくテレビやネットで紹介されている店に行って美味いの不味いのとグルメ気取りで食べログにアップして グルメのオレってイケてね? ナウいぜGO!GO! などと ちっぽけな俺様 をさらすことです。こいつらは僅かなお金を払うだけで 飲食店は客商売なんだから何を書かれてもいいんだYO! というわけのわからない理屈で飲食店いじめをするのは日常茶飯事のこと、災害に対して多額の寄付をしている芸能人のSNSを見て 売名行為だー などと 不謹慎狩り をしている人格障がい者と推測されます。
最近ではナウい国会議員があるパフォーマンスをしたことによって 「日本死ね」 を連発して目立とうとしているナウい奴らが急増しています。
「宝くじ当たらなかった日本死ね」
「ラーメンこぼした日本死ね」
「コメントと拍手が少ない日本死ね」
ならまだかわいいのですが
数学の勉強中に「サインコサイン日本死ね」
古典の勉強中に「祇園精舎の鐘の声諸行無常の日本死ね」
歴史の勉強中に「なくよウグイス日本死ね」
俳句を詠みながら「古池や蛙飛び込む日本死ね」
・・・
モーツァルトも今の日本を見て天国で嘆いていると思われます。


6 ヤゴゲルゲの子守唄
これを選んだ人は ゲスの極み です。
いうまでもなくヤゴゲルゲは ヤゴヤゴヤーゴのこもりうたあああ を使って子供たちに 悪いこと をしようとしました。
悪いこと を企んでいるヤゴゲルゲが歌うあの子守唄を選んだ人はヤゴゲルゲを心酔している、自らも 悪いこと をしようとしているゲスの極みなのです。
ヤゴゲルゲの子守唄が流行っていた頃の 悪いこと とは子守唄を歌いながら正々堂々と子供をアントマンにしようとすることでしたが、昨今ネットの普及によって 悪いこと をすればすぐにネットに挙げられるので 悪いこと ができなくなりました。ですのでこの子守唄を選んだ人たちはこうした最近のネット事情を考慮してネットを利用しての ウケ狙い をすることに作戦変更しました。
ネットを利用しての ウケ狙い とはいろいろありますが例を挙げると飲食店のアルバイト先で冷蔵庫に自ら入ったりハンバーガーのバンズの上で寝たり食器洗浄機に自ら入ったり線路で寝たりすることなどです。作戦変更してもゲスの極みの血は脈々と受け継がれているのです。ドルゲは今頃著作権者としての責任、あるいは使用者責任を問われて強制捜査が入るのではないかとヒヤヒヤしていることでしょう。
ちなみにヤゴゲルゲの子守唄を携帯の着信音にしている人を挙げますと
妻と離婚する をエサにして有名タレントを口説くバンドのボーカル
地球5周分のガソリン代を収支報告書に掲載していた国会議員
知事になった途端に公費を私的に好き勝手に使う元国際政治学者
などです。
但しご安心ください。
この子守唄を選んだからと言ってこれを選んだすべての人がゲスの極みだというわけではありません。
このブログを読みながらクチビルゲかユビゲルゲが頭に浮かんだ人はすでに反省している人 もうしませんで3本当たり の人なので シェーな人 と分析されます。おめでとうございます。



・・・



もう寝ます。
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菓子パン別人間分析

なんかなあ・・・

ブログを書きたいと思うのですが・・・

カギ屋の仕事というものはなかなか書けない内容のものが多いんですよ・・・

まあある意味カギを開けるということが一部を除いて本来非日常のこと、考えてみるとカギ屋の仕事というものは本来 公 になることを嫌うものなのかもしれません。

今日はそんなことを考えながら風邪をひいている甲辰が前回と同じ非表示にしているものから引きずり出してアップさせていたできます。これもまたカギ屋と関係のない人間分析でございます。

お時間のございます方、お読みいただけましたら幸いでございます。



・・・



これは甲辰の偏見に基づく人間分析なのでこれによって皆様の菓子パンの好みが変わらないよう心からお願い申し上げます(変わったら少し喜んでしまうかもしれません)。

これは甲辰の妄想ファンタジーですので信じる信じないは自己責任でお願いいたします。
少しマニアックな内容がありますがそれは愛嬌ということで読み流してくださいませ。




・・・



以下の6つの菓子パンから1つお選びください。

1 あんパン
2 クリームパン
3 ジャムパン
4 コロネ
5 カレーパン
6 メロンパン


では分析させていただきます。


1 あんパン

これを選んだ方は 和の心を知る人 です。
あんパンは中の餡に小豆あんやその他の甘いあんという和の要素をとりいれた日本の誇るべきパンです。
あんパンと聞いて98%の日本人が先ず思い浮かべるのはアニメ『CLANNAD』(クラナド)の渚ちゃんです。
学校に行くときに勇気を振り絞るために「あんパンっ!」と叫ぶ渚ちゃんのその姿はどれだけたくさんの日本中の人々、否、世界中の人々に感動を与えたでしょうか。
世界に誇る日本の文化であるアニメの中でも最高傑作に数えられる『CLANNAD』(クラナド)のモチベーションに登場するほどのあんパンは和の心の核と言っても過言ではありません。
このパンを食べる時の飲み物はあんの甘さを中和する日本茶です。
甘さと渋さで新しい日本の詫び寂びを醸し出すこのパンは日本の未来の可能性を感じさせ日本国民全員が感動の涙を流してしまいます。
木村屋に感謝です。

ここまで書いていて何なんですが僕あんパン嫌いです。


2 クリームパン

このパンを選んだ方は お子ちゃまな人 です。
カスタードの甘さ、パンの柔らかさに触れるたびに永遠の少年少女であるとの安らぎを感じています。
このパンの正しい食し方は
ちぎって1口1口食べるのではなく大口でかぶりつく 尚 ドリンクはクリームソーダであることが望ましい
と甲辰流礼儀作法奥義に書かれておりました。
なるほど、かぶりついて少し唇の横あたりにカスタードかついている姿を見てフランス人は 萌え を感じるのであります。
クリームソーダのアイスクリームでも同じことをフランス人は感じるのでやはりこの奥義には説得力があるのであります。
フランス人との結婚を望んでる日本人女子はデートするときはクリームパンをバッグに入れることが望ましいのであります。

日本人女子の皆様、自己責任でフランス人とのデートをお楽しみください。


3 ジャムパン

これを選んだ方は 面倒くさがりな人 です。
最近あまりこのパンを見なくなりましたね。
もともとジャムはパンにつけて食べるというのが一般的なのですがジャムをパンに内包させることによってつける手間を省いたのでしょう。ジャムのバリエーションを楽しむことを捨ててまでズボラをすることを合理化と言えるかもしれませんが何か哀しいです。
このパンを選んだ人は恐らく家で神戸のガイド本を見て そばめし を食べに行こうと考えてますがあまりの面倒くさがりのために結局自分の家でUFOの中にご飯を突っ込んでかき混ぜて食べるというオチになってしまいます。でもけっこう美味しいですよ、これ。
ちなみに僕は UFOそばめし のほかに エースコックのワンタンメンおじや をしたことがあります。

不味かったです。


4 コロネ

このパンを選んだ方は 愛嬌のある人 です。
先ず、正しいコロネの食べ方がわからないです。
細い方から食べると中身のクリームやチョコレートが反対側から出てきてしまう恐れがありますし、太い方から食べるにしてもそんなに大きな口を持った人がいるかどうかわかりません。ちぎって食べるにしても中身の柔らかさで美観が損なわれるかもしれませんし、貝を食べる恐竜のように背中からかぶりつくと悲惨な光景を目にするかもしれません。
結局は全世界の人が食べ方を知らないので ほら貝 を吹くように罰ゲーム的照れ隠しをしながら堂々と食べるか後ろを向いてハムスターのようにこそこそと食べるのですがやはり中身が反対側から出てしまうのでそれを右手人差し指でとって口の中にいれて
てへぺろ
をしてしまいます。愛嬌丸出しでございます。

男子がそんなことをやると 袋叩き にあいますが、女子がやると 萌え に変わってしまうので不思議です。


5 カレーパン

このパンを選んだ方は エネルギッシュな人 です。
先ず特筆すべきはカレーパンのカロリーの高さです。
中身のカレーもそうですが揚げパンの宿命というべきカロリーの高さは他の追随を許しません。
甲辰経済戦略研究所菓子パン分析チームのプロファイルによりますとこれを日常的に食べる人は肉体労働をしているか太っている人が多いと明記されております。
このパンを好む人は見ていて気持ちがいいくらいの食べっぷりです。エネルギッシュ丸出しなのです。
ですがあまりにもエネルギッシュなため口の周りが油だらけになります。絶えず口の周りを舐めていますのでいつも唇の周りに痛みを感じております。
エネルギッシュさと豪快さを兼ね備えていますので指についた油は堂々とGパンになすくりつけ、そのまま食後の一服をするのでライターも油まみれです。

ちなみに ピロシキ を好む人も同様に分析されます。


6 メロンパン

これを選んだ人は 生半可な人 です。
そもそもメロンパンと銘打っていますがメロンパンにはメロンが入っていません。
車で売りに来ているメロンパンをもの珍しさだけで並んで買うその姿にはパンの本質をわかっていない生半可さが滲み出ています。
関西やその他の一部の地方ではメロンパンを サンライズ というのですがそのことを鬼の首をとったように言いふらします。生半可丸出しです。
メロンパンを食べている人の手首に注目すると約56%の人がパワーストーン(天然石ブレス)を2個以上つけております。これは自分の生半可さを隠すためにある意味 神だのみ をしていると推測されます。
ですが思い通りにならなくてもパワーストーンを買った店にクレームをつけにいく勇気がないのでまた車で売りに来ているメロンパンを買って食べてしまいます。生半可丸出しです。
こんな生半可なことを自覚し矯正しながら1つ1つ人生を歩んでゆくのです。

頑張れ!生半可な諸君!



・・・



生半可ですんません・・・。
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お好み焼き別人間分析

これは今は非表示にしている過去に書いた記事です。

もしご興味がございましたら是非お読みください。

例のごとく僕の妄想人間分析です。



・・・



本日は全日本お好み焼きマイスター組合常任理事の甲辰が お好み焼き別人間分析 をさせていただきます。

これは長年当組合が観察し洞察し考察を重ねた結果たどり着いた パッパラパー分析 でございます。
今回は特に各々に最適な仕事を分析させていただきました。

興味のございます方は甲辰の脳内アホアホ妄想ファンタジーをお楽しみくださいませ。



・・・



以下の6つのお好み焼きからお好きなものをお選びください。


1 エビ焼き
2 豚焼き
3 イカ焼き
4 牛すじ焼き
5 ミックス焼き
6 モダン焼き


では分析させていただきます。



1 エビ焼き

これを選んだ人は 想像力豊かな人 です。
エビの丸くなった形を見ながらいつもボケようとしています。
エビだけをとりだして紐を通してネックレスにしようとしていた女性が今まで僕が見た中で一番印象的でした。おそらくエビを 勾玉 に見立てていたものと思われます。
またその女性の妹は片目を手で押さえてじっとエビ焼きのエビを1個ずつ見つめながら
「右!上!下!・・」と真剣に叫んでいました。
何をしているのかと聞くと 視力検査の予行演習 をしているとのことでした。
エビ焼きを選んだ人の多くは車に乗りながら、又、パソコンのディスプレーを見ながら一人でボケ突っ込みをしています。よほど想像力が豊かなのでしょう。
このようにボケようとする努力を怠らないので会社やクラスでは人気者ですが一つ間違うといじめの対象になってしまします。
エビ焼きを選ぶ人に最適な仕事は人を楽しませる 芸人 です。


2 豚焼き

これを選んだ人は 仲間を大切にする人 です。
豚焼きの豚は薄いのでちゃんと焼けるときれいに切れます。人に分けるお好み焼きとしては最高の具材なのです。つまり豚焼きを選ぶ人は 他人に分ける ということを第一の前提としています。
チーズが一切れあったら(あったら)ジョリーと僕とで半分こ
を座右の銘としている心優しい人なのです。
ですが仲間を大切にするがあまり自分勝手に少しでも多く取ろうとする人を見つけると
もんじゃのヘラで生命線を長くしてやろか
といいながら飛びかかってくるので要注意です。
豚焼きを選ぶ人に最適な仕事は 人を想い国を想う を実践できる 自衛官 です。


3 イカ焼き

これを選んだ人は 自分勝手な人 です。
上記の豚焼きと違いイカ焼きのイカは分厚いのでなかなかコテで切れません。ですので人に分けるということを端から考えておりません。自分さえよければいいという考えを持っています。
この人は人に分けることは考えていませんが人から貰うことには抵抗がありません。豚焼きを選ぶ人と正反対なのです。特に豚焼きは格好の餌食です。良心に付け込んでたかることが得意です。
自我が強いのでたくましく生きていくことはできるのですが共同体意識が欠如しているので、もし社会に出たとしても人事部にすぐに見抜かれてリストラの対象になります。
こんな自分勝手なイカ焼きを選ぶ人に仕事はありませんが自衛官の敵であることは間違いないので強いて言えば 泡沫政党の反日国会議員 でゲソ(なれるかどうかは別問題です)。


4 牛すじ焼き

これを選んだ人は 苦労人 です。
牛すじは他の具と違い仕込が必要です。そしてその味付けは各店によって違います。
これは一人一人の人生そのものです。
これを選んだ人は牛すじ焼きの味のごとく 甘い辛い を知り尽くしています。
これを選んだ人の過去をプロファイリグしますとバブルでいったん成金になりましたがはじけて一家離散し、奮起してそこそこの富を築きましたがリーマンショックでまたまた家を失いました。
今は アベノミクス でなんとか持ち直していますが 人生山あり谷あり を実践し続けます。
これを選ぶ人の最適な職業はその苦労をした過去を活かして小説やエッセイなどを書く 文筆業 だと思われます。


5 ミックス焼き

これを選んだ人は 永遠の迷い人 です。
これを選んだ人は自分というものを持っていないので自分で好きな具材を決めることができません。いつも他人の目を自分の標準にしているのでとりあえず具材が全部入ったものを注文することにしています。
これはお好み焼きに限らずピザや焼きそば、ナッツも全てミックスにしてしまいます。
これを選ぶ人の大きな特徴は 大人買い をすることです。
とりあえず目の前にあるものを全部買うことによって安心し他人をも安心させます。
その場の雰囲気、空気を読むことにかけては天才的な能力を持っているので人気者ではあるのですがいつもビクビクしています。
これを選ぶ人の最適な職業は空気を読む能力を活かすことができる 落語家 です。


6 モダン焼き

これを選んだ人は 知ったかぶりをする人 です。
お好み焼きにそばを合体させることでゴージャスでハイカラな モダン焼き と命名されましたが何がモダンなのかわかりません。何も知らないのに機械的にモダン焼きを注文する知ったかぶり根性を見るにつけ今の流行なのかと思うと少し哀しくなります。
上記のミックス焼きを選ぶ人とは逆にモダン焼きを選ぶ人は空気が読めないのである意味幸せなのです。
モダン焼きを選ぶ人がお好み焼き屋に入ると機械的に
「とりあえずビール」「モダン焼き」「ごちそうさま」
の3つの言葉しかしゃべりません。
これはイクラちゃんの
「ハーイ」「チャーン」「バブー」
を真似していると推測されます。
これを選ぶ人の最適な職業は何もわかっていなくて機械的な出まかせを活かすことができる 小金稼ぎのコメンテーター です。




・・・



あの・・・これを信じて仕事を決めることは自己責任でお願いいたします。
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卒業ソング別人間分析

毎年この季節になると何か新鮮な気持ちになります。

学校を卒業して新しい世界に飛びだしたあの何とも言えない気持ちを懐かしみながら初心に何度も帰る、桜が咲く前のこの季節は本当に新鮮ですね。

本日は卒業ソング別人間分析をさせていただきます。

今年度はもうほとんどの学校やその他の教育機関で卒業式は終わっていると思いますが、なぜこの時期に人間分析をするかというと卒業式に歌う歌を決める権利のある先生がこのブログを読んでしまうとどの卒業ソングにするか半年以上悩むことを恐れてあえてこの時期にアップさせていただくことになりました。

では以下の6つの曲で皆様が卒業する学生になったつもりで歌いたいと思う曲をお選び下さい。

1 蛍の光
2 仰げば尊し
3 大地讃頌
4 巣立ちの歌
5 旅立ちの日に・・・(川嶋あい)
6 旅立ちの日に(どこかの先生が作ったやつ)

では分析いたします。


1 蛍の光
この曲を選んだ人は 技術者気質の人 です。
まあ卒業ソングの定番中の定番といえばそれまでなのですが伝統を重んじるから職人気質だというわけではありません。
この歌の歌詞は 蛍雪の功 という故事に基づいており僅かな光を頼って勉学に励むというものです。
これは今の日本、エネルギー資源の少ない日本という国が今まで技術によってエネルギーを創造してきた歴史と重なり合い、これから蛍の光のような小さな光を増殖させて大きな光を創ろう、窓の雪のように冷たい物体から光を創ろうという技術者の想いを代弁しているのです。学生の時からこの歌を卒業式で歌いたいというのは将来技術者になって日本を発展させたいという愛国者が多いのです。
これを選んだ人が陥りやすい失敗はモノを大切にする、原資を大切にするあまり目先のことにとらわれる、例えば兵庫県のリサイクルショップで500円で売られているCDが岐阜県で100円で売られていると聞くと車で高速料金、ガソリン代を使って買いに行くようなことをします。


2 仰げば尊し
この曲を選んだ人は 聞き分けの良い人 です。
もともとこの曲を選んだ人は別の曲を選んでいました。
桜の栞(AKB48) Sakura(レミオロメン) 桜(FUNKY MONKEY BABYS) などの歌を卒業式に歌いたいと先生に提案しましたが定年間近の先生に
「最近のはやり歌なんぞ歌えるかああああっ!」 
と一喝され定番中の定番の 仰げば尊し に提案しなおしました。優等生の発想ですね。
このように聞き分けのいい人は卒業して就職した会社ではうまく立ち回っていけますが一般の家庭生活では聞き分けが良いが故に浪費しがちです。
通販番組に影響されたこの人たちの家には ゴマとDHAのサプリ 緑色の野菜汁 空気清浄器 強力な掃除機 ダニをとる布団用掃除機 聞き流すだけで英語がマスターできるとされるCD そしてお父さんやおじいちゃんが買ったと思われる 紅茶キノコ 「ワタシニデンワシテクダサイ、ドゾヨロシク」の健康器具 ぶら下がり健康器 などが所狭しと並んでおります。
また 今年は最高の出来じゃい! なセールスコピーにつられて毎年ボージョレーヌーボーを飲んでおります。


3 大地讃頌
この曲を選んだ人は 惚れっぽい人 です。
この曲の歌詞は聴いての通り 土に感謝しなさい と言っているだけで卒業とは何の関係もありません。まあこの曲の成り立ち、ベースは特定のイデオロギーを持っているかたにとっては素晴らしいものだと思うのですが一般の純粋な生徒にはほぼ関係ありません。でもなぜこの曲を選ぶ人が多いかというとそのメロディーが素晴らしいからです。つまり歌詞(言葉)よりもメロディー、中身よりも外見に魅力を感じるという惚れっぽい人なのです。
お察しの通りこの曲を選ぶ人は できちゃった結婚 をしがちで結婚の動機でできちゃった結婚した人の比率は 贈る言葉 を選ぶ人の約2倍だとの統計が出ております(甲辰経済戦略研究所 制服の第二ボタン捜索チーム調べ)。


4 巣立ちの歌
この曲を選んだ人は サービス好きの人 です。
この曲の歌詞をまとめると
先生 友達 ありがと さよなら
と16文字で済みますが感謝の気持ちを美しいメロディーにのせてできるだけ長く歌いたいと思っているサービス好きの人なのです。
これを選んだ人は当然なのですがサービス業に就職するのがよろしいかと思われます。保険の外交員、または冠婚葬祭に関わる結婚式場や葬儀屋などの 話術が命 の仕事をするのがよろしかろうと思います。
但し巣立ちの歌を選んだ人が就いてはいけない職業もあります。それは飲食業、特に天麩羅屋です。何故かというと中身は小さいのに衣をできるだけ大きくすることをサービスだと勘違いしてしまい胸やけの人を大量発生させて医療費がまた上がってしまう恐れがあるからです。
でももし胸焼けしたら 酢橘の歌 を歌って笑ってごまかすほどの余裕が欲しいものですね。


5 旅立ちの日に・・・(川嶋あい)
この曲を選んだ人は 素晴らしい人 です。
旅立ちの日に・・・ を選ぶ、というより 川嶋あい を選ぶということ、これは真実を見抜く目を持っている証左です。
男なら質実剛健
女なら才色兼備
もうとにかく理屈抜きで素晴らしい人なのです。なぜなら川嶋あいは今世紀最高の歌姫だからです。異論は許しません。
ご存知の方も多いと思いますが念のために書いておきますと旅立ちの日に・・・には逸話があります。
坂上田村麻呂君(以下マロ)が征夷大将軍に任命され蝦夷征伐にいく前日に征伐友達のアレクサンダー大王君(放課後行った常連の店で知り合った 以下アレっち)が駆けつけピアノの弾き語りで旅立ちの日に・・・を歌ってサプライズを演出しようとしましたが、それを聞きつけた同じ征伐友達のフビライ・ハン君(いつもの駄菓子屋で知り合った 以下ハンちゃん)が馬頭琴を持ってきて結局アレっちとハンちゃんのコラボになりました。ですがマロはこの二人の心を読むことなく
「森山直太朗のさくら(独唱)がいいナリ」
といって二人を落胆させた話はあまりにも有名ですね(出典:成敗道中膝栗毛  ホラッチョ甲辰 奇天烈殺助 共著)。


6 旅立ちの日に(どこかの先生が作ったやつ)
この曲を選んだ人は 個性のない人 です。
この曲はメロディーのみならず歌詞も素晴らしい、つまりが卒業ソングとしては模範解答の1曲なのです。故に無難に模範解答のこの曲を疑いなく選ぶという人は個性がない、というより出る杭にはなれない人、極めて成功しづらい人なのです。
一部の人にありがちなのですがこの曲は卒業式で歌うだけなら全然問題はない、つまり 自由 希望 夢 勇気 など希望的観測の言葉は卒業式だけで許されるのですが卒業した後にこの歌詞の内容のような希望的観測、明日から本気出す的 働いたら負け的な考えでいると社会のお荷物になるなど将来大変なことになります。また、お荷物にならないまでも無理やりに個性を出そうとしてラーメンが美味いの不味いのとブログや食べログにアップするグルメ気取りの恥ずかしいノータリンになる可能性もあるのでこの曲はできるだけ選ばないのがよろしいかと思われます。
以上の事から努力をしない怠け者には夢も希望も叶うことはないので先生方はそこのところを学生に教え込むことが望まれます。



・・・



言うまでもなくこのブログはスーパーデリシャスゴージャスブリリアントアホンダラの甲辰のファンタジー分析です。


卒業された皆様、初めて飛び込む世界で初めから上手くできる人なぞいません。
とにかくスタートして恥をかきましょう、という有難い甲辰の言葉を以って卒業ソング別人間分析を終わらせていただきます。

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自称

いつか書こうと思っていたことなんですがね・・・ちょうどマスコミにスクープで出たので書かせていただきます(センテンススプリングGJ!)。

この社会で、というより日本とか先進国ならではの仕事ってありますよね。

そのうちの1つに 経営コンサルタント という仕事がそうだと思うんです。

まあ僕なんぞはどちらかというとこのような偉い肩書の職業の人を頼ろうとは思わないんです。

なぜかというとこういう人たちに頼んで売り上げが上がってしまうとこの仕事(カギ屋)の性質上ものすごく忙しくなる、というより緊急の対応がおろそかになると思うからです(前提としては経営コンサルタントが素晴らしい仕事をして経済的に潤ったという仮定です)。
売り上げが上がるということは仕事が増える、コンサルタントの人は <緊急対応の仕事もそうでない仕事もできるようになるようコンサルタントします> なんぞと言って誘おうとするわけですが目標を達成できなければ <あなた、真剣に取り組みましたか?> という殺し文句で終わってしまうと思うからです(真剣に一緒に苦楽を共にして歩合制でコンサルタント料をとるという方の方が多いとは思うのですが)。

もう一つはもしコンサルタントが仮に <カギ屋は儲かりますよ> というのなら お前がやってみろよ と単純に思うんです。

まあつまり僕は経営コンサルタントなる職業を信用していないんです。

今回、件のあの人のことがスクープになった時本当に偶然なのですがその少し前にこの人の経歴を読んでいたんです。
この人の経歴(今となっては真偽のほどは定かではありませんが)で驚いたのは僕と同い年だったことでした。

苦労をして年商30億になるまで頑張った経営コンサルタントの47歳、かたや今年の2月14日に得意先の人にチョコレートの代わりに
「君・・・こんなこともできへんのか・・・」
と20年ぶりくらいにいわれたカギ屋の僕と同じ47歳ということに衝撃を覚えました(請求書と必要書類をホッチキスで止めてなかっただけです。「カギは開けれますよ」と言ってやろうと思いましたが言えませんでした)。

ここからが本筋なんですがね、経営コンサルタントとカギ屋って共通する部分がある、というより特定の職業以外はほとんど共通するんですね。それは看板を揚げればその職業にはなれるということです。つまり 自称 で名乗ることができるんですね。ここが今回のスクープの核なんだと思うんです。

僕がカギ屋になって感じたのは仕事ってやってみて初めてその 雰囲気 とか ツボはどこか とかわかるということでした。
最初から経営コンサルタントという職業を否定するわけではないのですがこの人たちはどこでどうやって雰囲気とか経営のツボを会得したのかなという素朴な疑問が僕にはあるんです。もっと深く突き詰めるとそのコンサルタントの人がある1つのビジネスで仮に成功してそのノウハウを会得したのならなんとなく信じることはできるんですが・・・それでもですね、成功した人がそのノウハウを他人に教えようと思うもんですかね・・・僕って器が小さいんでしょうか?小さいんです。

すごく抽象的なんですが宇宙から見た地球は青いんですが実際に地球の地に足をつけている人、一般の人は青いとは感じていないわけです。海の近くにいる人なら感じるかもしれませんがそうでない人たちは自分の1メートル上の景色だってまた違っているんですよ。僕は経営コンサルタントなる人たちってたくさんの会社の成功失敗、高いところから表面上の成功失敗をみて こうすべきだ こうあるべきだ と言っているだけではないかと思うんですね。
この経営コンサルタントなる人が例えば今まで築いてきた人脈を紹介することによってクライアントに利益を生み出させるとかの現実的にテクニカルなことをするのならわざわざ経営コンサルタントなどと名乗らなくてもいいんです。

ネットでホームページとかブログで見ているだけなのでかなり偏りがあるのは十分承知していますがこの人たち(自称経営コンサルタント)の文章の中でたまにすごく嫌悪を感じるものがあります。例えば飲食店で自分が客で何か不愉快なことがあったときに 主はこうしなければならない とか書いてるわけです。商売をしているのなら当然~~をしなくてはならない、商売に一番大事なことが抜けている、などとエラソーに書いているわけですよ。商売に一番大事なことが抜けているんならこの店は潰れているはずだろっ、と突っ込みをこらえながら読んでいるんです。自分が気に入らないことを自分の憲法に従ってクソカスに書いているようにしか見えない、というよりもっともらしいことを書いて ボクエラインダゾ アイアムグレート と言っているようにしか見えないんですよね。

どんなことでもですね、批判したりコメントしようと思えばできるんです。僕が今一部の自称経営コンサルタントを批判しているように。




あーあ・・・

ブログで美味いの不味いの書いている奴らと同じことをしてしまった・・・と落ち込んでいる 自称独身美中年実業家 でした。
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聖域

人って自分が見たこと聞いたことなど、五感で感じる刺激によって生物的に適応しようとするのはもちろんのこと社会的に適応するもんだと思うんです。
今回僕が言葉で表現し確認したかったのは感じ方によってその刺激がどのようにその人を導くかは個人によりけりなのではないかと思うところがあったからです。

こんなことは当たり前のことなんですが同じ刺激、同じ状況だからと言って同じ感情、感覚になるかといえば恐らくそうではない、人によって様々なのだと思うんです。人には人それぞれの正義があり価値観、人生観がある、それが時の流れによって変わっていくのかもしれません。

今から書くことはある現場の話です。
かなり年数が経ちもう書いていい頃だと思ったことと最近になってあの時に感じたことがやっと言葉として表現できるようになったのでおこがましいですが書かせていただきます。共感されるか否かはこのブログを読んでくださる方それぞれだと思いますが書かせていただきます。



・・・



その現場はある男女の心中の現場でした。
ある病院がその住戸の解錠を管理会社に依頼して管理会社からの依頼で僕が解錠することになりました。

現場にはすでに警察、レスキュー、管理会社やその他その住戸の住人の知り合いと思われる方々がたくさん来ていました。

解錠して警察が住戸に入ってすぐに
「扉から離れてください!」
と怒号にも似た声が聞こえてきました。

僕はすぐに扉から離れました。

警察、レスキューの無線や会話から推測すると睡眠薬での心中のようでした。絶命していたようでした。
眠っているようなきれいな御遺体のようでした(カギ屋は扉の内側にはまず絶対に入りません)。

聴取か取調べかどうかわかりませんでしたが僕を含むその場にいた人が警察にいろいろと聞かれました。

しばらくすると刑事が何人か来ました。

この心中の背景は男性の親からものすごい反対の末に絶縁同然で駆け落ちし最近になって女性がある病の末期で余命がほとんどないことがわかったというものでした。
男性は普通に定職を持っていましたが数日間連絡が取れなくなり、また女性が通院する日になっても病院に来なかったことで不信に思った病院が解錠の依頼をしたというものでした。

孤独死の場合もそうなのですが亡くなられている方の本人確認が必要なので本人の顔を知っている人が確認をしなくてはなりません。すでに知人など本人の顔を知っている誰かが本人確認をしていたかもしれませんが親族を呼ぶことになりました。心中ということなので心情的に当然かもしれません。

男性の父親と連絡が取れましたがどうも来ることを拒んでいるようでした。ほぼ絶縁状態だったので当然かもしれませんが結局は来られることになりました。

心中というのは事故ではなく事件なのでひと段落つくまではカギ屋といえどもその場にいなくてはなりません。解錠したときにチェーンは掛かっていたか、カギ屋さんの住所はどこだ、誰から依頼があった、生年月日は、電話番号は・・・などと同じ内容のことを何人もの警察の方に聞かれました。

男性の父親は現場から少し離れているところに住んでいるようでしたがいくら待ってもなかなか来られませんでした。

解錠してから3時間ほど経ったときにようやく父親と男性の兄弟と思われる方が来られました。
霙交じりの雨が降っていた寒い日でした。

父親は警察の方と一緒に部屋に入りました。なにかぶつぶつとつぶやきながらでしたが二人の御遺体を見た時でしょうか、少しの沈黙の後、声にならない声での慟哭が聞こえてきました。しばらくして警察の方に肩を支えられて真っ赤になった顔を両手で覆いながら今にも支えがなければ倒れそうにふらふらと出てきました。



・・・



その時の父親の涙、心情・・・僕にはどういうものなのかわかりません。
真実は人の心の中にあるものなので察しようとすること自体おこがましいのかもしれません。

でもですね・・・僕思うんですが・・・人は心の中にたくさんの矛盾を抱えていることをどこかでわかっているんです。
たくさんの矛盾の中の一つは人を愛しすぎるあまり、可愛さあまり自らの価値観を押し付けてしまうことがある、愛しいあまり自らが過去に踏んできた轍に照らし合わせて、また自らの人生観、直観でできるだけ安全な方へ、幸せに向かうように愛しいものを導こうとするのでしょう。それを愛情という言葉で覆い隠しながら。

でも価値観は人によって違う、人それぞれに譲れない価値観があることもわかっている、でも一方が自らの価値観を愛情というベールで覆い隠して押し付けてしまうと押し付けられたものは行き場を無くしてしまうのです。

この男女には父親と同じく、というより人間としてどうしても守りたいものがあったのでしょう。

自らの命を絶ってしまうほど二人は愛し合っていたのだ、片方が欠けてしまうともう生きられないほど愛し合っていたのだ、そしてもう逃げ場がなくなった二人だけの聖域を守り通したかったのでしょう。



・・・



愛情ゆえの価値観の押しつけはこの世界にあふれかえっていると僕は思うんです。
というより悪意があることは別として価値観の押しつけそのものが愛情なのかとも思うんです。
そして愛情と愛情のベクトルの方向が違う時には往々にして悲劇を生み出すのでしょう。



・・・



命はどんなことをしても戻ってくることはありません。

せめてこの二人が聖域で命を召されたその日、旅立った瞬間は一点の曇りもない幸せであったことを祈ります。
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プロフィール

Author:甲辰
職業:カギ屋
性別:男
座右の銘:面白き 事もなき世を 面白く

生年月日

年=戊申
月=辛酉
日=甲辰
時=壬申

*誰か占え(ください)。




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べっ、べつにあんたがクリックしてくれなくても まったく ぜんぜん これっぽっちも寂しくなんかないんだからねっ!!



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全ての著作権は甲辰に帰属します。

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